Gardenがーでん

ひとりの主婦の小さな世界 

むかしぶろぐ 伯母の思い出

2006年5月のブログ。
 
 
娘とナポレオンとベルサイユ展に行く。

私は絵を観に行くのが好きで気になる展示があれば足をのばす。
 

かつて私には夢があった。
 
同じように芸術を愛する伯母とルーブル美術館へ行くことだった。
 
でももう叶わない。
伯母は昨年急死したからだ。
 

私の唯一の自慢でした。
 
大きい病院の婦長を定年まで勤めあげた。
 
 

とても美しい人で女優をしていたこともあったようだ。
 
 
伯母の小学校や学生の時の写真を見ると、どんなに小さいものでも
一目で見つけることができた。
 
 
 
何故なら完全に浮いているからだ。
え?この子どうしたん、、、と思うレベルである。
 
 
 
ひとりだけ眩しいくらい美しい。
姪としても誇らしく、伯母の昔の写真を見るのが大好きだった。
 
 
 
その昔、私が凄く凄く小さい時のこと。
大田舎のボロボロの家にピンキーとキラーズのピンキーと同じ格好をして帰って来た事があった。
 
私は伯母はピンキーなんじゃないかと本気で思ていたものだ。
 
 
 
私はすごく可愛がってもらった。
伯母は結婚をせず、子どももいなかったから。
 
 
自分の弟が妻と子を置いて出て行ったことを申し訳なく思っていたのもあるだろう。
私が赤ん坊の頃に養子に欲しいとまで言っていたらしい。
 
 
母は了解せず、自分で私を育てた。
 
 
あの時伯母の養子になっていたら、、、
東京の人間として生きていたんだろうな。
そしてお金には困らなかっただろうな。なんて想像する。笑
 
 
 
 
伯母との1番大切な思い出がある。
 
 
多分、3歳か4歳の頃だと思う。
 
私と伯母と祖母に母で大型スーパーに行っていた。
茶店のような場所で私は伯母に抱かれている。
 
私は伯母が東京で買ってきてくれたグレーのセーターを着ていた。
そのセーターには女の子の絵と英語の文字が着いてる。
 

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Remember me?

 
air。これはね。私のことを覚えてる?って意味なのよ。」
 
なんとなく寂しげな伯母の声が忘れられない。
セピア色の思い出。。
 
 
数年前、母と私と旦那と娘たちをはとバスツアーに招待してくれた。
それが最後の思い出になった。
 
 
伯母が亡くなった時、父と伯父と遺品整理に東京へ行った。
形見として、服やアクセサリー、本、美術展のカードや伯母の写真を貰った。
 
 
叶わなかった夢をたどるように
私は絵を観にいく時は必ず伯母の遺品と一緒に行く。
 
 
今日は伯母の服着て
伯母のネックレスつけて
伯母の香水をつけてフルコースで挑んだ。

心の中で伯母と絵の話をしながらキラキラの首飾りなぞ眺めた。
 
゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜
 
 
 
 
少し文章を付け足しました。
 
この時、伯母の遺品にあった本で私が持ち帰ったのが
アゴタ・クリストフ悪童日記」「二人の秘密」「第三の嘘」
 
ピンキーのコスプレといい、この本のラインナップといい
間違いなく私はこの人と同じ血が流れている。
 
おそらく伯母の中には普通という文字は無かったように思う。
 
 
でも、もっと語りたかった。
もっと伯母の人生を知りたかった。
 
 
後悔している。
むしろ父より。笑
 
 
 
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