Gardenがーでん

ひとりの主婦の小さな世界 

食料品店のおばちゃん

母から電話がかかる。

 

「食料品店のおばちゃん1人で死んでたんだって…」

 

おばちゃんは家で亡くなっているのを娘さんに発見されたという。

 

 

実家の近所なのだがもう何十年も会ってなかった。

 

 

 

 

 

 

私が幼少の頃、わが町内はちょっとした商店街だった。

 

私の家の並びには、電気屋、おすし屋、ハンバーガー屋、コロッケ屋、クリーニング屋、美容室。

 

道路を挟んだ向かい側には、タバコ屋、食料品店、米屋、駄菓子屋、喫茶店

 

角を曲がれば、判子屋、写真館、お好み焼き屋まであった。

 

特にお向かいの食料品店にはよく行った。

生鮮食料品からお菓子や衛生用品、雑誌やお花等なんでも揃っていたからだ。

 

おばちゃんは体が大きくて包容力があり、いつもいつも笑顔だった。

旦那さんが亭主関白でよく怒鳴っていたなあ。

 

家の二階から向かいのお店をよく眺めていた記憶がある。

 

今でも鮮明にその映像が蘇る。

 

手を振ってくれたおばちゃんの顔も。

 

 

ある年、私の家の前の道路を拡張する話が持ち上がりました。

 

 

結局、私の家の向かい側は全部立ち退きになった。

 

ブルドーザーが私の町の商店街も、遊んだ空き地のつくしやレンゲも皆んな破壊していってしまい近所の様子はすっかり変わってしまいました。

 

店の人たちはそれぞれ遠くに引っ越したり、店をたたんだりしたが、食料品店は近所に店ごと引っ越した。

 

 

しかし、その頃私は家を離れ大阪に行ってしまったので帰省する時にしかおばちゃんには会えなかった。

 

 

 

しばらくすると祖母や母がもうその店にはあまり行ってないんだという話をしだした。

 

 

 

帰省して行ってみると理由がわかった。

 

 

お店はガラクタだらけで、冷蔵庫にはとうに期限切れの腐りかけた食品でいっぱいになっていたのだ。

 

 

買えるのはトイレットペーパーやゴミ袋しかなかった。

 

 

おばちゃんは一体どうしてしまったのだろう。と思うと悲しくなってしまい中々お店に足が向かなくなってしまった。

 

 

そうしてる間に旦那さんが亡くなり、おばちゃんはひとりぼっちになってしまったようだ。

 

 

 

いつも家の前を通るが、ひと気はなく

私は子どもさんが引き取ってもう居ないのかと思っていた。

 

 

 

お店がぐちゃぐちゃになっていたのは既に20数年前。

認知症ではなかったのだろうか。。

 

認知症ならそんなに長く1人には出来ないはずだし、、、

 

 

 

 

「娘さんがもうちょっと良くみてあげてれば‥」と母は言ったが、

 

 

私たちも同罪だ。

 

会わなかったのだから。

 

 

声をかけに行かなかったのだから。

 

 

 

「あんなに世話になったのに」

 

 

 

 

私もとても可愛がって貰った。

 

 

 

 

 

大人になりきれていない自分。

 

 

大切な人たちに

 

ありがとうを言わず

 

胸にしまっているだけの小さい子ども。

 

 

 

 

お正月に旦那に

「今年の正月は帰らない」と言うと

 

「今しかないんや!いつ会えなくなるかわからないのに何故会いに行かないんや!」

 

と言われた。

 

 

旦那は正しい。

 

 

 

私自身ももう時間が少なくなってきている、

 

 

 

 

旦那のように

 

 

動こう。

 

 

 

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