Gardenがーでん

ひとりの主婦の小さな世界 

私がしたいことがない訳ではないのだ

今日、旦那が実家の片づけに行ったが、私は行かなかった。

 

「いつも一緒にいてくれ言うのに矛盾してるな」と言われた。

 

私は私の都合の良い形で一緒にいてほしいと思っているのは理解している。

勝手なものだ。

 

普段は、24時間中に旦那が私と話す時間が数十分しかない事が不満なのだが

私がしたくないことをしてまで話す時間を作るのが苦痛なのだ。

重ねて勝手な私だ。

 

まあ、そばにいても上の空でいつも他の世界に生きている人なので、それが寂しいのだろう。

 

旦那は体が側にいればそれでよいと思っている。

それとしたいことが溢れすぎて24時間が足りなさすぎるのに家に帰って一緒にいるではないかという頭だ。

 

まあ、根本的に考えが違うのだが、、、

 

そんな旦那を見ていると、私は何もすることがなくて空っぽだという思いにさせられる。

あーーー何もないなあ私。

 

 

と常々思っていた。

 

が、今日急に気付いた。

 

ある。

私したいことある。

 

例えば、

寝たい。まどろみたい。テレビ見て笑いたい。

GYAOで映画や昔のアニメを楽しみたい。

 

これらは旦那からすれば、なんの生産性もないだらけた生活でしかない。

家で過ごすのが嫌いな人だから。

 

対して私は家で本能の赴くまま自由にしたい。

 

晴れてるから今、洗濯しなきゃとかもほって、まどろみたいと思うことがある。

ウツで辛い時はそれで自分を許したが、病状がよくなって社会生活をしていくならそれは悪に変わっていく。

 

でもよく考えたら

それは私のしたいことなのだ。

 

なんの生産性もないが、したいのだ。

 

 

それが私にとって大切なことなのだ。

子どもの頃はそれで頭の中はイマジネーションが溢れたいた。

 

それが枯渇して数十年たつ。

 

生産性がないからとその時間を否定してきたからではないのか。

 

 

 

 

最近考えていたことがある。

 

私は依存体質だから旦那や娘がいないとどうなるのだろうかと思っていた。

でも

それじゃいけないな、、と。

 

自分がしたいことをしている自分を作り上げていないと

ひとりにはなれないんだ。

 

その答えが見えていた。

 

 

それに付随する気づきのように思える。

 

 

 

ひとりの私がしたいこと

 

それをどう充実させていくか

だんだんそれを完成させなきゃいけない。

 

それが完成していない人は結局

家族以外のコミュニティに入れない気がする。

 

 

自分がある

 

私はこうだ!があってからの社会人にならなくては。

 

 

 

なんてことをつらつら考えた今日。

 

 


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