Gardenがーでん

ひとりの主婦の小さな世界 

1か100かのわたし。

大人なら、学習したら普通自分の悪いところは加減できるようにできるのか。

 

私は小さいころから1か100か。白か黒か。の極端人間だ。

 

さいころ傍若無人だった私は人間関係について悩む事が多かった。

自分と人は考え方が違うという事が長い間理解できず苦しんでいた。

 

ある時、人の気持ちがわからないヒドイ人間だと分かった。(分からされた)

それからの私は人の気持ちのみを考える人間になった。

傍若無人時代より長く周りファーストの人生を歩んだ。

 

人の気持ちのみ考えて生きていたので、とにかく人が怖くて仕方なかった。

 

絶対に

悲しませてはいけない。

怒らせてはいけない。

恥をかかせてはいけない。

 

疲れ果てた私は幾度となく、ウツになったりヒステリーを起こしていた。

 

 

 

そして、今回本格的に自分を壊してしまい休職⇒退職を経験してしまった。

今日まで2年間仕事をしなかった。

その休養の間に私は自分ファーストを身に着けた。

 

~のために

~じゃないといけない

~してはならない

生きる活力を得るために、これを捨てるクセを付けた。

 

私は私。

私でいてよいんだと。

 

 

 

 

 

しかし、最近職業訓練のクラスメイトから

私は傍若無人な上から目線の人と言われていると聞いた。

 

 

今の私は何でもズケズケ言う嫌みなおばさんなのである。

 

 

思った事をズバッと言ってしまうようになって

気持ち的にはその人の事を考えて言っているのだが、言い方が高圧的なようだ。

 

 

あー

 

 

 

私、また子どもの頃に戻ってるだけやん。

また1に戻ってるやんか。

傍若無人やんか。

 

なんで真ん中できひんの。

 

 

 

 

これでまた私は何も言わない 蜉蝣に戻るのか。

なんでうまくできないのだろう。

 

 

 

人は多面性があるから、嫌な所を見てもそれがすべてじゃないと思うようにしている。

(家族は別かも…)

だからそういうとこもあるよね~くらいで流して生きているが、

そうじゃない人もいるんだなあ。

それがすべてな人もいるんだなあ。と思い自分を責めた。

 

 

 

 

 

でも、今私は一人の人の話だけで判断して落ち込んでいる。

これは危険なことだ。

もしかしたらこれはすべてじゃないのかもしれない。

言われたことは真実かもしれないけど、それがすべてじゃないかもしれない。

 

 

 

 

 

しかし、言われたことは真実だ。自覚もある。

 

 

 

 

1か100

 

 

 

50を意識して生きたい。

50の加減が50歳になってもわからないけど。

50になりたい。

 

 

 

人に良く思われたいというより

50になりたいのだ。

 

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